dkrqr’s blog

僕がつくったものとやったこと考えたことの記録

秘密主義

この記事は、Kumano dorm.(2nd) Advent Calendar 2021 - Adventarの5日目の記事です。他のも読もう。 感想を#kmnac2021でつぶやいてくれると嬉しい。

ひみつ‐しゅぎ【秘密主義】
〔名〕 何でも秘密にしておこうとする考え方や主張。
    ---精選版 日本国語大辞典

僕はコミュニティごとに開示する情報が異なっている。

このことに対して、気持ち悪く感じる人もいるかもしれないし、自分もそうだなぁと思う人もいるかもしれない。 こういうことをしない人(或いはしていても自覚的でない人)はどういうことなのか分からないかもしれないし、なんとなくわかっても人によって意図するところが異なると思うので、僕の他者への情報の出し方に関してまずは説明しようと思う。

情報の開示基準

この節の内容は、僕が完全に信頼している人(後述)の1人と話した内容と内省とから言語化したものであって、ふだんからこれを意識して情報を出す出さないを決定しているわけではない。

  1. 開示する相手と自分が共通して所属するコミュニティの全員に知られてもよい情報である
  2. あるコミュニティの中の誰かに話したことは、そのコミュニティの構成員に知られうるという原則をとっている。 そのため、相手と共通のコミュニティの構成員全員に知られてもよいことしか伝えない。 自分のあずかり知らないところで自分の情報が広まっているのは気持ち悪いので、広まってもいいことしか言いたくない。 共通のコミュニティが複数あればいえることはどんどん少なくなるね。
  3. 核心につながりうることは言わない
  4. 核心とは自分がその人に本当に言いたくないこと、隠しておきたいこと。 トラウマとか、知られると誰かや自分に不利益があるような内容とか。 核心を言わないのは当然として、核心を言えない理由や核心を言いたくないこと自体も言いたくないので核心につながりそうなことも言わない。 コミュニティによって核心となる内容が異なることもある。
  5. これらの条件を満たす情報であっても、話の流れで言わないことが不自然にならない限りは基本的に話さない
  6. 何が核心につながるかわからないし、今は大丈夫なことでも将来的に知られたくないことになるかもしれない。

この文章では、こういう基準で情報開示することを指して秘密主義と言う。

なぜ秘密主義をとるのか

秘密主義を採用するのは究極的には自分が心地いいからであると思う。 人に対して自分をすべて出さないことで、自分はこの人に勝っている(何に?)、この人に裏切られても大丈夫だという(?)安心感を得ている気がする。 書いていて論理の飛躍があるなと思うが、実際にそう感じている。

あと、自分の情報がコントロールできない範囲に広がることにかなり不安がある。 核心についてはとにかく知られたくない。 信頼できない人間だけでなく、信頼できない人間になる可能性のある人間にも伝えたくない。 ある程度信頼していても伝えることをためらう。

もっと言うと、僕に関するどういう情報が核心なのかも基本的には知られたくない。 核心の周辺の話をしていると、核心を突くような話題になってしまうこともあると思う。 それは核心なので話したくない、或いは別の適当な(嘘の)理由で話せないと言うのは気分が悪い。 話の流れを遮ることになるし、空気も悪くなる。 しかも、それが話したくない話題であるということがコミュニティ内で共有されてしまえば、僕に対する妙な気の遣われが発生するかもしれない。 気持ち悪すぎる。

なるべく自分のことを話さないようにすれば、自分の情報をある程度コントロールできるし、核心に触れられる可能性も低くなる。 ほかの方法もあるのかもしれないが、こうするのがコストが低くて僕に合っているのだと思う。

秘密主義の問題点

とはいえ、秘密主義が良いことばかりならみんなこの戦略をとっているはずだし、僕が秘密主義であることを自覚することもなかったと思う。

秘密主義をとることによって生じる一番大きな問題であると僕が感じているのは、完全に信頼している人に迷惑をかけてしまうことである。 これは最近気を遣ったと言われてはじめて気づいた。 完全に信頼している人というのは、核心も含めて伝えても構わないと考えている人である。 僕が秘密主義を取ることによって、僕が完全に信頼している人が僕と共通して所属しているコミュニティにおいて、核心やその周辺の情報に関してどこまで秘匿しておくべきなのか、どこまで伝えてもいいのか考えて話させることになる。 完全に信頼している人たちはこんなに僕に良くしてくれているのに、僕に気を遣わせてしまうのは本当に申し訳ない。

ほかにも、冷たい人間だと思われたり、数年前からの知り合いにつかみどころがなくて付き合いにくいと言われたり、友達が少なかったり。

反・秘密主義?

自分が被る迷惑は自分の責任なのである程度仕方がないけれど、大切にしたい人が僕のせいで迷惑を被っているのは耐え難いので直すべきだと最近考え出した。 しかしいままでそんなことはあまり考えたことがなかったので、どうすべきなのかわからない。 情報開示の判断は無意識でやっているし、核心を開示することはこれからも基本的にはあり得ないと思う。 それでも開示度は上げていくべきだと思うし、その方法をこれから考えていこうと思う。